坂東三津五郎
坂東三津五郎さん
「解説と実演で知る<日本舞踊と邦楽の世界> 坂東三津五郎 歌舞伎でわかる江戸の粋」
「解説と実演で知る<日本舞踊と邦楽の世界> 坂東三津五郎がひもとく“日本舞踊”」にご出演
伝統芸能に触れる機会をつくる
——今回の2公演は、「芸の真髄シリーズ」の「江戸ゆかりの家の芸」に先立つイベントでした。
江戸の歌舞伎舞踊の真髄を披露する「江戸ゆかりの家の芸」を楽しく観ていただくためのものでもありました。その内容、構成は、ほとんど自分で決めましたが、講演でありながら、ひとつのショーとして見せる工夫をしなくてはなりません。今までも歌舞伎の上演前に、化粧から衣装付けまでの過程を見せるイベントやレクチャーはありました。でも、そこから日本舞踊へ繋げて見せる試みは初めてでした。清元「流星」の説明だけですと、初めての人には専門的すぎるのではと思い、舞台化粧をするところから、「雨の五郎」の衣装を着けるまでの仕立を見せて、そこから踊りへと繋げました。
——今回のようなイベントで、少しでも伝統芸能に触れる機会をもつことは大切ですね。
若い人に伝統芸能を根付かせるのは、親のセンスの問題だと思います。学校から観に行くと、授業になってしまうのでダメです。親に連れられて観ていた層が一番根付いています。子供のときから観ていたから、今も観ないと落ち着かない、という層です。だから、歌舞伎座の一等席にちゃんと席を取って、子供にみせている親御さんは本当に偉いと思う。舞台の上から下りていって、握手したいほどです(笑)。毎月とは言いませんが、例えばバレエか、オペラか、音楽会なのか、美術館か、なんであれ、体験をさせてあげること。一回でも観ていれば、大人になったときにすっと入っていくことができるでしょう。学校任せにせず、親も観て、子供に話しをするのが大切ではないでしょうか。
——親のセンスが問われるということですね。
着物の着付けも母親が着ていれば、学校で学ぶ必要が本当はないはずです。その伝統が途切れたから、わざわざ学校で学んでいる。歌舞伎も同様で、かつては祖母から母親、母親から娘へと、予習は充分家で済ませてから劇場へ来ていたのに、観客側の伝統が途切れがちです。だから、敷居が高くなってしまったのです。
理屈ではない風情を感じる日本人の心
——よく「日本舞踊はわかりづらい」と言う声を聞きます。
新しい歌舞伎座に魂を込める
——2010年からの建て替えが終わり、4月から歌舞伎座が新しくなります。
素晴らしい劇場を作っていただきました。劇場は、ただの建物であって、ただの建物ではない。それは、芸を磨く演者たちの努力や思いが宿る場所です。それと、もう一つは、その舞台を観て受け止めてくださる観客の魂も宿る場所です。お互いの思いがぶつかり、昇華して、劇場という空間に充満する。それはヨーロッパでも同様で、いい劇場は人格のようなものが宿る場所です。振り返ってみれば、私が初めての大役を以前の歌舞伎座で勤めたとき、明らかに自分以外の力が働いて、力を貸してくれたと思える瞬間がありました。一生懸命やっていれば、「あいつを応援してやろう」という、目に見えないものが力を貸してくれるのです。その器が新しくなるわけだから、今後はその魂を我々が宿していく。そして、それを受け止めるお客様の魂も宿していかねばなりません。
——その新しい劇場で、いよいよ柿落としの公演が始まります。
役者は舞台の上で切磋琢磨すること、そして、お客様とも切磋琢磨する関係が望まれます。そのためには、観客も厳しい目をもって、役者を育ててくださらないといけません。見る目がなくなると、芸が育ちません。昨今のひとつの傾向として、歌舞伎のイベント化があります。イベント化した興行には人が押し寄せますが、通常の演目には集まりにくいのが現状です。少しでも変わったことをしないと話題にならないのです。そうなると、歌舞伎はだんだんイベントを見る場になってしまい、空を飛んだり、「凄い」と思わせることばかりになり、それでは芸は磨かれません。きちんとした芸の世界を取り戻さなくては。
——若い世代の役者は、芸を磨き、何を繋げていかなくてはならないでしょうか。
ひとりの演者が成長するには、自分だけの力では成し得ません。動けなかった自分に芸を仕込んだくれた親、祖父母、師匠、歌舞伎の先輩たちのエキスが注入されて、いまの自分があるのです。若いときは、注意や忠告を私の才能を少しでも伸ばしてくれるための助言だと思っていましたが、この年齢になってみると、どうやらそれだけではない、と思うようになりました。つまり、教えてくれた師匠、先輩も幼いときから、同様にいろいろな人たちから教えを受けていました。私に教えてくれたのは、私のためだけでなく、「これをおまえに教えるから、おまえが責任をもって、後へ伝えてくれよ」という意味のほうが、むしろ大きかったのだろうと思います。要するに、次に渡すバトンを預かっているのです。後世に繋ぐということは、いま始まったことではなくて、延々と続けられてきたこと。今は映像やDVDがあるし、それを見ればいいや、となりますが、昔の師匠は三味線も弾く、常磐津、清元、長唄などが歌える、そして踊りの振りも覚えて、伝えて来ました。その人たちの思いの延長線上に立っているのです。だからこそ、繋げていかなくてはいけないのだと思っています。
——昨年から今年にかけて、歌舞伎界では悲しいことが続きました。
成田屋(市川團十郎)さんは大人物でした。役者はわがままで自分のことが中心という人が多い中、あの方はご自分よりも、まず歌舞伎界全体のこと、日本における文化のこと、そういった大きな視野で事に当たられ、ここぞというときには、くさびを打つような重要な発言を堂々としてくださる方でした。本当に今後の歌舞伎界にとって、大切な方を失ったという気がしています。中村勘三郎さんは、相手役であり、好敵手であり、これからもしのぎを削り合いながら高みを目指そうと思っていたので、本当に寂しいのです。彼と私は、出てくる色はまったく違うのだけれど、お互い10代のときから、勉強してきたこと、学んだことへの信頼は揺るがないものがありました。だから、勘三郎というと平成中村座や、コクーン歌舞伎や、NY公演といった、歌舞伎をわかりやすく、世間に広げた功労者ととらえられますが、本当の彼の凄さは天賦の才もあったけれど、若いときから、努力をして、努力をして、人が50〜60回稽古するところを、100回以上稽古を重ねて、身につけたその芸の凄さです。そういう人なので、決してうわべでない、肉体に宿っている芸を信頼する気持ちがお互いにありました。だから、後輩に注意をするときには、お互いが違う側面から言い合うことで、今後の歌舞伎界に対して良い影響を及ぼせたのにと思うと非常に辛い思いです。
——建替えはいろいろな意味で新しい歌舞伎座のターニングポイントとなりました。
たとえば、パリのオペラ座や、ウィーンの国立歌劇場のように、「心のご飯を食べるところ」として、何百年もの歴史があって、街の誇り、宝なのだと思っていただける劇場になれるのか。新しい歌舞伎座へ行ったら、ただ「歌舞伎座を見てきた」というのではなく、芝居の後に、一杯やりながら、「やっぱり、吉右衛門はいいねえ」「菊五郎の弁天はいいね」と芝居の話が出るようになってほしいのです。建物だけではなくて、芸を観てほしいのです。だって、スカイツリーではないのですから。
——本日は、ありがとうございました。