大城學さん(琉球大学教授)
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公演を振り返って
——「三弦 海を越えて―アジアから日本へ―」の公演に際して、どのようなことに気を配ったのですか?
観客の年齢もさまざまで、おそらく初めて三線を見たり、聴いたりする人が多いだろうと思ったので、とにかく、わかりやすくということを心掛けました。楽器の説明は、楽器の部位だったり、どうしても固有名詞が多くなってしまい、聞き慣れない名称ばかりで、理解してもらえるのか不安がありました。しかも演奏と演奏の合間という、限られた時間でしたし、何を話せばいいのか迷うところもありましたが、伝えるべきことは、お話できたと思っています。
——「三弦 海を越えて―アジアから日本へ―」の内容や演出で工夫したところはありますか?
バチやツメ、弦を押さえる棹の部分など、会場内のスクリーンでアップにしたことで、よくわかってもらえたのではないかと思います。また、ロビーにそれぞれの楽器を並べて、間近に見えるようにしたのも、理解を深めてもらえたのではないでしょうか。本当は、ロビーで実際に少し触れることができたり、弾ける楽器が何台かあれば、よりよかったのではないかと思いますね。沖縄でも重要無形文化財の「組踊(くみおどり)」の公演のときには、衣装を着せたマネキンを置いて、間近で見てもらえるようにしたり、関連の資料も展示したりしています。より理解を深めるのに効果的ですね。
——会場の雰囲気はいかがでしたか?
とても感心をもっていただいているのがわかりました。特に、スクリーンに大きく映し出されるので、興味深く見入っている様子がわかりました。それぞれの楽器の特徴をよくわかっていただけたのではないでしょうか。
三線音楽と切っても切れない沖縄
——大城さんが沖縄の三線・伝統芸能に携わるきっかけはなんだったのでしょうか?
沖縄は祭が多い土地柄です。村全体が参加する祭が1年にいくつかあります。そこでは三線が必ず演奏されて、歌って踊ります。好き嫌いではなく、沖縄の人にとって自然と民謡が血となり肉となっている。そこに芸能が生まれたのです。
こんなエピソードがあります。私は東京で学生時代を過ごしたのですが、東京へ発つ日、友人が空港に見送りに来てくれました。そのときに、三線を持たせてくれたのです。その三線を沖縄県人寮の部屋で弾いていたら、音に釣られて新入生が部屋に入ってくる。「民謡が好きか」と尋ねると、嫌いだと言うのです。でもその新入生は休暇で実家に帰ると、民謡のテープを買って戻ってくるようになりました。まったく民謡に興味もなかった若者も、沖縄を離れると、自然と民謡を傍らに置くようになったのです。
こんなエピソードがあります。私は東京で学生時代を過ごしたのですが、東京へ発つ日、友人が空港に見送りに来てくれました。そのときに、三線を持たせてくれたのです。その三線を沖縄県人寮の部屋で弾いていたら、音に釣られて新入生が部屋に入ってくる。「民謡が好きか」と尋ねると、嫌いだと言うのです。でもその新入生は休暇で実家に帰ると、民謡のテープを買って戻ってくるようになりました。まったく民謡に興味もなかった若者も、沖縄を離れると、自然と民謡を傍らに置くようになったのです。
——沖縄の人たちにとって、民謡は欠かせないものなのですね。
ハワイや南米には沖縄から移住した人々も多いですが、彼らも皆、三線を持って出て行ったのです。そして、沖縄に里帰りすると、民謡のCDを持って帰る。沖縄の人たちにとって、民謡は生活に密着したものであり、極端な言い方をすれば生命(いのち)そのものなのです。
——今でも、民謡は親しまれているんですか?
ラジオで毎日、民謡の番組があります。コミュニティFMや民放ラジオでは、民謡と懐メロの番組があります。学校でも民謡の部活動がありますし、近所には三線教室もあります。どこでも三線音楽とは切っても切れない生活です。
民放では民謡紅白歌合戦を毎年催し、プロや地域の名人が出演して競います。古くからの民謡のほかに、自作の曲も歌っていますよ。私も審査員を務めたことがありますが、民放局では、毎年、新民謡を募集していて、100曲以上の応募曲から、優秀作を10〜15曲選んで最終審査をしますが、後日、その多くがCD化されています。ただ、町の民謡名人のおじいさんは、応募するのが面倒だから、「そっちから、録りに来てよ」と、ラジオ局に電話をしてきたり。沖縄らしいでしょ(笑)。このように、沖縄の暮らしは、つねに音楽に浸っている、非常に密接な関係なのです。そういう沖縄の文化を知ってもらう、何かのきっかけに、このようなイベントはありがたいと思いますね。
民放では民謡紅白歌合戦を毎年催し、プロや地域の名人が出演して競います。古くからの民謡のほかに、自作の曲も歌っていますよ。私も審査員を務めたことがありますが、民放局では、毎年、新民謡を募集していて、100曲以上の応募曲から、優秀作を10〜15曲選んで最終審査をしますが、後日、その多くがCD化されています。ただ、町の民謡名人のおじいさんは、応募するのが面倒だから、「そっちから、録りに来てよ」と、ラジオ局に電話をしてきたり。沖縄らしいでしょ(笑)。このように、沖縄の暮らしは、つねに音楽に浸っている、非常に密接な関係なのです。そういう沖縄の文化を知ってもらう、何かのきっかけに、このようなイベントはありがたいと思いますね。
——なぜ、それほどまで、民謡が広く親しまれるようになったのでしょうか。
琉球王朝の宮中に伝わった、古典の伝統音楽は、現在200曲以上収録されています。それらは、とても芸術性が高く、節回しが非常に難しいのです。その一方で、市民が自由に親しめる民謡が数多くあります。ただ、面白いのは、古典の歌手も民謡を歌います。古典と民謡も一緒に演奏します。古典と新作が共存しており、両方を取り入れて、新しい音楽が生まれています。
——今でも、進化しているのですね。
民謡では古典と新作が融合することで、新しい音楽が生まれています。一方、古来の沖縄の音楽では、歌三線と言われて、歌と三線は必ずセットで演奏されるものでした。15世紀に沖縄の音楽が生まれたときから、歌と三線とを分業しません。しかし、沖縄の音楽では歌が優先され、三線は楽器としてはあまり発達しませんでした。
ルーツは同じ、さまざまに変化する三弦楽器
——今回、三弦の楽器でもさまざまな種類があることがわかりました。
沖縄の人たちは、琉球三味線のような音楽は沖縄にしかない、と思ってしまいます。しかし、アジアにはさまざまな形、演奏様式の三弦楽器がある。ルーツは同じでも、環境や地域に合わせて変化したのです。このような機会に他のさまざまな三弦楽器とその音楽に触れることができたことで、あらためて自分たちの音楽を見直すきっかけにもなったと思います。
——三弦楽器が各地で発展した背景は?
弦を押さえる位置を変えるだけで、3本の弦でも2オクターブ以上の音域が出せます。つまり、経済的な弦数で多くの音高や多様な旋律を奏することができるのが魅力です。広い場所も取らない、腕に抱えるだけで演奏しやすい、弾けば容易に音が確保できる、ということが多くの人に親しまれて、各地に広まっていったのです。
たとえば、中国雲南省の少数民族では、山岳地帯の人々が祭で演奏する、棹が短く、リュックなどに入れて背負って持ち歩けるサイズの三味線や、ごったんと呼ばれる、鹿児島の板張りの箱三味線とか。三味線は、暮らしに密着しているものが多いのです。
たとえば、中国雲南省の少数民族では、山岳地帯の人々が祭で演奏する、棹が短く、リュックなどに入れて背負って持ち歩けるサイズの三味線や、ごったんと呼ばれる、鹿児島の板張りの箱三味線とか。三味線は、暮らしに密着しているものが多いのです。
——今後、このようなイベントでやってみたいことがあれば。
個人的には、こういった試みは東京をきっかけに、他の地域でも巡回公演ができればいいと思います。まだ世界には三弦の楽器はあるのですから。日本にも、アジアにも。
——本日は、ありがとうございました。